アウシュビッツ収容所へ
クラクフの初日はまずアウシュビッツの強制収容所へ
今回のポーランド旅行のほぼほぼメイン
アウシュビッツ博物館のHPで調べてみると、入場はガイドツアーの時間帯と個人入場の時間に分けられていて、ガイドツアーの時間帯は個人での入場はできないみたい
一応個人で入場して、自分のペースで見る事も可能みたいだけど、折角だしガイドツアーの方が良さそうと思い、事前にツアーを予約していった。
予約したのはアウシュビッツで唯一の日本語ガイドのツアーを実施している中谷さんのツアー
ツアーの予約方法
予約はめちゃくちゃ簡単
- 中谷さんのメールアドレス(nakatani@wp.pl)に参加したい旨のメールを送信する
- すぐに返信があるのでその内容を確認して、確認した旨のメールを入れる
これだけでOK!
ちなみに参加費は日によって変動するらしい。
どうやら一定額の料金が決まっていて、それをその日の参加人数を割返すらしい。予約した当日は50ズロチとのことだった。支払いは現地でキャッシュで、とのこと。
返信メールの中には、クラクフからの交通手段(バス or 電車)のスケジュールも書いてあったので安心。
予約さえしておけば、当日現地に行くだけで良いので煩わしく無くて良い
アウシュビッツへの交通手段
クラクフからアウシュビッツへはバス・電車の2パターンで行く事が可能
◇バス クラクフ駅前のターミナルからアウシュビッツ博物館までの直通便 所要時間1時間半ほど ◇電車 クラクフ本駅からアウシュビッツのあるオシフィエンチム駅まで所要時間2時間 オシフィエンチム駅からはバスかタクシー
それならばドアツードアのバスの一択でしょ!ということでバスで行く事にした。
クラクフのバスターミナル(ターミナルは鉄道駅の隣にあるので分かりやすい)
朝起きて準備してバスターミナルへ。ホテルから駅までが3分ほどなので便利。やっぱり駅近のホテルにしていて正解だった。
バスターミナルでチケット購入。
アウシュビッツ博物館は観光地だけあって、バスも頻発で使いやすい
バスに乗車。
アウシュビッツまでは高速道路を走っていくので快適快適。
時刻通り1時間30分ほどでアウシュビッツ博物館に到着。
アウシュビッツ博物館内は、なにやら朝霧が漂っていて厳かな雰囲気
中谷さんのツアーは、この入場棟の前での待ち合わせ。
待っていると同じツアーに参加する日本人がわらわらと集まってくるのですぐ分かる。
一通り集まったところで中谷さんが登場して点呼。全員揃ったところでツアー開始となった
アウシュビッツ博物館内
早速博物館中へ。
入場にはセキュリティチェックを受ける必要があるがこれが結構厳しい。
中谷さんいわく、以前は雑なチェックだったらしいが、昨今の情勢を受けてかなり厳重になったとのこと。A4サイズ以上の手荷物は持ち込めないのでクロークに預ける必要があるし、ベルトは外せとか空港ばりのチェックだし、場所柄仕方ないといったらそこまでだけど、ちょっとやり過ぎ感。
ツアーの時間帯は指定されているので、いくつかのツアーが一斉にスタートする。
そのこともあって中はかなり混んでいる。
まず目に入るのが「働けば自由になる」の有名な門。ここがアウシュビッツの入口
外の世界とは2重の鉄条網で区切られていた
内部はこういった建物がいくつか並んでいる。元は軍向けの施設(兵舎?)だったので、造りがしっかりしているとのこと
こういった兵舎の建物が、今は博物館として使用されている。
チクロンB
アウシュビッツといえば、連れて来られた収容者を即時ガス室送りにすることで悪名高いが、これがその薬品。
収容された人たちが最低限の荷物を入れてきた鞄
靴
日用品とか
収容された人たちが持ってきた品々が色々陳列されていた。
ここは有名な処刑の壁。ここの前に収容者を立たせて銃撃した。中谷さんによると全員が全員ここで殺害された訳ではなく、有名人など一部の人だけとのこと。他は全部ガス室送りで、ここは見せしめのための壁だったらしい
建物の中にはここで殺害された人たちの写真も。
ちなみにこの収容所は塀を隔ててすぐ外は普通の住宅地。それだけでも十分に驚きなのだが、
さらに驚くべきはこの先の家は何とこのアウシュビッツ収容所の元所長の家。
こんな施設の隣で良く悠々と暮らせるなと思ったが、それはこの事件が個人の犯罪というよりかは、国家全体で組織的に行っていたことなので罪悪感が無く平然と暮らしていけたとか。
ナチス党員にしてみれば、悪い事をしていたという認識が希薄で、マジョリティに属していたからできたこと、と中谷さんは仰っていた。
だがそんな所長も戦後この庭先で絞首刑になったとか
ガス室の様子。ただしここは再現されたものらしい
その隣には火葬炉が
ビルケナウ収容所
アウシュビッツ収容所の近隣にはビルケナウ収容所がある。アウシュビッツではキャパオーバーになった為、後に増築された収容所で規模はアウシュビッツの何倍も大きい
ビルケナウ収容所の入口。有名な構図
収容者はこういった貨車でヨーロッパ中から運ばれてきた
この線路はヨーロッパ各地と繋がっており、ここで貨車から下ろされた収容者が働けるもの、老人、子供などの区分けを即座にされたらしい。そして老人などはそのまますぐにガス室送りにされていった
ここはとにかく広い。戦争が終わるまで増築が続けられていたらしい
ガス室跡。ここは本当に使われていた場所。
ナチスが撤退時にダイナマイトで破壊したので壊れてしまっている。
今回アウシュビッツに初めて来る事ができたが、興味深い場所だった。そもそも何故こういった虐殺が起こったのかも解明されていないらしいというのが意外。とにかく過去からの歴史や、その時の世界情勢といった様々な要素が複雑に絡み合った結果がこれだと思う。
この博物館にある様々な展示物や廃墟は、ナチスが起こした大虐殺という出来事の結果であって、一番重要なのは、なぜその出来事が起こったのか、というプロセス。
中谷さんも言っていたが、ここはとにかく若い人が多い印象。それほどまでにヨーロッパの人たちはここに来て歴史を学ぶ機会が多いらしい。みんなここで過去の出来事がどのようにして起こったか学習して帰っていくのだとか。
印象に残ったのが、中谷さんが言っていた「この出来事が、次は自分の周りで起こるかもしれない」ということ。そういったこともあるので、一度は訪れる場所だと思った。